随分更新をさぼってしまった。過去の日記も手帳には記してあるので後日追加しとこ。

相変わらず熱うなぎ上り。この日は点滴を打ってきた。点滴がもれていたらしく激痛が走る。ついてない・・・。

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音の出ない拡声器

39度近い熱が出てしまった。

キルザのライブに行けず・・・。残念。また見れるよね。

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椎名町「鬼さん」

2008.4.28[Mon]

子供を泣かすトダッチ。

この後、いろはちゃんから「鬼さん」と命名され恐怖の対象になる。

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高円寺にブラスバンド公演を聴きに行ってきた。

ブラスバンドでパーカッションをやっているルイちゃんと知り合ってから二度目のブラスバンド公演。

今回もルイちゃんはパーカッション担当として活躍していた。指揮者に束ねられた楽器の音は心地よいリズムと音量で耳に迫ってくる。

クラッシックばかりかと思いきや、ガンダムやルパンのテーマを演奏したりと親しみみやすく楽しかった。バンドのライブとはまた違う臨場感。次回の公演も是非行きたいなぁ。

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八木ちゃん一家がやってきた。
2才になるいろはちゃんとシャボン玉で遊ぶ。

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DVD「Heroes」

2008.4.21[Mon]

アメリカのドラマ「HEROES」を観始めてしまった。

おもしろい。・・・がこれからレンタルDVD漬けの日々か。

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俳句「島根の潤」

2008.4.20[Sun]

新宿で潤に会う。

最近、島根で俳句を作っているらしい。できたての俳句を見せてもらった。

みずうみの句。海や川のように何かの境界線として存在するわけでもなく、ただそこに水がたまっているだけの「みずうみ」。

そんな不思議な存在感を詠った句。

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映画「大日本人」

2008.4.19[Sat]

松本人志監督の「大日本人」を観た。

なんと言ったらいいのだろう。

でも、ふすまを開けるとデッカイ四代目がいるところが好きだった。オジンガーの時もそうだったけど、まっちゃんはおじいちゃんのおもしろさが好きなんだろうなぁ。

 * *

宇都宮へ帰る際、快速ラビットのグリーン車にはじめて乗ってみた。思った以上に快適でびっくり。

というわけで、宇都宮にいます。

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最近、くるくる回るバーバーサインをあまり見ない気がする。

以前「佐藤卓」の展示で、このバーバーサインを集めたものがあった。意外に大きくて、ずっと見てるとなんだこれ?って思えてくる。

この写真は湯島あたりの住宅街に突然現われたバーバーサイン。なんだかノスタルジック。

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電車「三往復」

2008.4.17[Thu]

雨の中、東長崎−椎名町間を三往復もする。段取りの悪さがでてしまった。反省。

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渋谷のシネマライズで「非現実の王国で−ヘンリー・ダーガーの謎」を観てきた。
一年前、原美術館で見た絵画のドキュメンタリー映画。

 * *

絵を描く、文章を書く、音楽を作る・・・。頭の中のイメージを形にするとき、多かれ少なかれ誰かに見てもらいたいという気持ちがある。ヘンリー・ダーガーにもその気持ちがあったんだろうか?

もし、誰に見せるわけでもなく自分のために作り上げていった世界ならば、誰かと共有する必要のない本当の意味での自分の世界だったんじゃないかなぁ。と思う。

そこは彼にとって妄想の域を超えて現実と同じ意味を持つ世界があり、そこの住人であり、居場所だったんだろうと思う。

印象的だった彼のエピソードの一つに、大切にしていた少女の新聞切り抜き写真を紛失してしまう話があった。熱心なカトリック信者だった彼は、写真が見つかるよう何度も神に嘆願するのだが、結局写真は見つからなかった。

空想の世界では何でも自由に出来たことが、現実世界では切なる願い一つかなわない・・・。

人との関わりを絶ち、幼少期の理不尽な経験、貧困と病に苦しんだ現実世界。多くの仲間を持ち、共に戦い、時に裏切り、彼の思いを自由に出来る世界。

相反する二つの世界はバランスを保った一つの世界のようにも思えるけど、やはり彼にとって空想の世界は「非現実」の王国だったと認識しているところに現実との葛藤のようなものを感じた。

作品に対してこれ程まで自分を塗りこめた人はなかなかいないんじゃないかと思うし、絵というよりは妄想の世界そのものを描いた作品に僕は惹き付けられてしまう。

断片的でしかなかったヘンリー・ダーガーの知識が、彼を知る人の証言や映像を見ることで、徐々にヘンリー・ダーガー像が自分の中に現われてくるのが不思議な感じでおもしろかった。

こうやって、いろんな人の非現実の世界に非現実の存在として登場し続けるんだろうなぁ。

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久々に徹夜。
食べると眠くなるから食べない。

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パスモにチャージした5,000円があっという間になくなっていた。小銭だと思っていても意外に電車にお金を使っているんだなぁ。

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そういえば、東大の三四郎池に大量のおたまじゃくしがいた。

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東京大学総合研究博物館で開催している「鳥のビオソフィア」展を見てきた。

この展覧会の説明に「一昔前まで学問と芸術は今以上に密接に関わっていた」という記述があった。この展示を見るまではあまりピンとこなかったけれど、ある研究者の部屋を模した展示を見て、なるほどなぁ。と思った。

研究の重要な資料となる骨格標本や剥製は、その鳥の生態や特徴的なポーズを見事に捉えたもので自然が作る美を封じ込めてしまったもののようだし、卵殻を展示するための台座は卵の曲線美を際立たせる工芸作品のよう。また、細かな部分まで再現されたカラフルな多色刷りの図鑑なんかは資料とは思えないくらいきれいだ。

ま、壁一面の引き出しいっぱいに鳥の遺骸が入っていたりとマッドサイエンティストの部屋のようで近寄りがたい雰囲気はあれど、研究と共に美への探究心を感じずにいられなかった。

 * *

それから、もう一つ驚いたのは「ニワトリ」は人間が交配の末に作り出した生き物だということ。昔からいた鳥をそのまま家畜にしたわけではないんですね。

学芸員の人に話を聞いてみると、交配の結果本当に沢山の種類のニワトリが存在しているらしく、4メートル以上の尻尾をもつ尾長鳥は、換羽期に羽根が抜け変わらない特性をもたせたものだったり、羽根やトサカはもちろんのこと肉も骨まで黒いニワトリがいたりとたくさんの剥製が展示されていた。

空を飛ぶという進化をした鳥。そういえば、人間の言葉を上手に話せるのも鳥以外にいないのかも。舌の形状が人と似ているのかな?ま、声真似で理解しているかどうかはあやしいけれど・・・。

ネコや犬に鳥と同じ舌があったら、きっと人の言葉を理解して話してそうだなぁ。

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海外から一時的に帰ってきている友人と待ち合わせ。日本の携帯を持っていないため、時間を決めて駅の改札で待つ。最近、こういう待ち合わせってないなぁ・・・と。

この時間、この場所にいないと会えないという緊張感。

些細なことだけど、会えた時はそれだけでうれしい気持ちになる。

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なんだこれー。と思うもすごい。

DiscoveryのPVを松本零士がやっているのは知っていたけど、全曲を通して一つの話になるように作られているのね。初めて見た。


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自分が動かなくてもなんとなく動いている。

ちょっと前まで無意識にそう思っていたことに気付いた。今は自分が動かないと何も前に進まないし、動かざるをえない状況にもある。

今まではわかっていながらも、なかなか出来なかった「まず動いてしまう」ということ。これが今の僕にとって一番にやらなければならないことになっている。

簡単なようで難しい最初の一歩。いつか長い距離になるように・・・。出来れば間違った方向に進んでないことを祈りつつ。

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映画「2046」

2008.4.8[Tue]

ウォン・カーウァイ監督の「2046(リンク先:音出ます)」を観た。

なんだったんだろう?という気もするけど、不思議とおもしろかったと思えるし、後からじわじわと場面を思い出しては楽しめる映画だった。

映像が本当に綺麗で、映像だけ流し見しても楽しめるんじゃないかというくらい。出てくる人たちのギラギラしていて、どこかどうしようもない気持ちを秘めた演技もさすが!と思う。もう一度見たらストーリー的な部分ももっと楽しめるのかもしれない。

しかし、タクシーの中で眠りながらピチッとした髪型が乱れるトニー・レオン。かっちょいいなぁ。

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映画「夕凪の街 桜の国(リンク先:音出ます)」を観た。

戦後の広島から現代につながるストーリー。原爆から放たれた放射能は戦争が終わり、子供、そして孫の世代になっても傷を深く残していく・・・という話を聞いたことはあったが、こうやって映画でみるとその街の、人の、家族の深い悲しみややりきれなさが伝わってくる。

戦後まもなく、麻生久美子演じる皆美が寄り添って息を引き取った若木が、時を経て大きな木に成長していたことに時の流れと、生きることへの思いがつまっているような気がしてならなかった。

 * *

最近、友人に子供が生まれたりしているせいか命のバトンのようなものを感じることが多く、何百年、何千年とさかのぼっても自分につながる人がいるし、もしかしたら何百年、何千年と経った時、逆に僕がつなげた人になるのかもしれない。

人の一生は儚いようで壮大だし、抱えきれないくらい大きなものを背負っているようで本当は身一つで生きて死ぬことなのかもしれないと思った。

うーん、最近説教じみた感想が多い・・・。おっさんになってしまったんだなぁ。

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ドクポリ(リンク先:音出ます)」のライブを観に新宿へ。

ドクポリの前に演奏していた「ANIMA」というバンドがよかった。踊りながら歌うボーカルがかわいい。また見にいってみたいなぁ。

ドクポリは4人編成がビシッと決まっていてかっこよかった。この編成で初期の頃の曲なんかも聴いてみたい。きっとすごくよさそう。今日はいつもより楽しくて一人で盛り上がってしまった。月曜日までに仕上げなければいけない作業がなければ、もう少しライブの余韻にひたっていたかった。残念。

 * *

家に帰る途中、スーパーに立ち寄ったらネギの切れ端を踏んで思いっきりこけた。バナナよりすべるかもしれん。

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千葉「小湊鉄道」

2008.4.5[Sat]

千葉県内房を走る小湊鉄道に乗って養老渓谷に行ってきた。

途中、無人駅飯給(いたぶ)で降りる。無人駅と書いたが、小湊鉄道は、ほとんどの駅が無人駅だ。目の前に広がる菜の花畑の先には神社の鳥居があって、蛙の鳴き声がこだまするのんびりとした駅。

桜と菜の花に包まれた飯給駅は鉄道マニアの聖地でもあるらしく、沢山のカメラマンがいた。1時間に一本ほどしかない電車の撮影にみんな真剣。うかつに駅周辺を歩いていると鉄道カメラマンに「写ってるからどけ!」と怒られる。てっちゃん怖ぇ。

その後、再び電車に乗り養老渓谷駅。そこから小一時間歩いて牛300頭がいる牧場へ。ホルスタイン牛に黒毛和牛の受精卵を移植する研究をしている施設らしく、観光客なんて一人もいなかった。

牛って好奇心が旺盛で、見ているとどんどん近づいてくる。一頭一頭色も模様も顔も全然違う。まつ毛なんかも長くてかわいい。でも、もしかしたらこの牛も食卓に並ぶのかもしれない。

生きている動物を毎日食べてるんだなぁ。と、あらためて思った。そういえば、フィリピンに旅行に行った時、早朝のと殺場にたまたま出くわした時があって、と殺される牛か豚の断末魔の声を聞いて体の底から身震いするような思いが湧き上がってくるのを感じたっけ。

常に生き物を殺して食べてる。と思う必要はないかもしれないけれど、絶対忘れてはいけないことの一つのような気がする。

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ソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」を観た。

色とりどりのお菓子、豪華絢爛な宮殿、中世の貴族の桁外れの生活が全編をとおして描かれていた。綺麗な映像に目を奪われるも、どうにも感情移入ができないまま映画が終わってしまった。

正直、ベルバラを読んでいなかったらフェルゼン伯爵のことや暴動が起きてからもルイ16世と共に宮殿に残ったこと、ポリニャック伯夫人との関係がわからなくて話の筋を見失っていたかも。

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大学の友人に子供が生まれた。入院から3時間のスピード出産。元気な男の子だそうだ。おめでとう!

重松清の「流星ワゴン」のあとがきに、子供が生まれると独り身だった時とは違う、重層的な時間が流れるようになる。という文章があったのを思い出した。

子供を育てていると、自分が子供だった頃や若い頃の自分の親を思い出すんだそうだ。すっかり忘れていたと思っていた時間が今の時間と重なり合う・・・それはいい思い出も悪い思い出も。

きっと親になるというのはそういうことなんだろう。

 * *

そういえば祖母の葬儀の時、8年ぶりに従姉妹の子供に会ったのだが、自分の小学生の頃を見ているようで、赤面してしまうようないてもたってもいられない気持ちになったっけ。血がつながっているというのはこういうことなのか・・・と。

だって、思いっきり自分の小学生の頃と同じ言動なんだもの。どうしたって思い出す。

親になったら僕にも子供だった頃の自分があらわれて、苦笑したり、喜んだり、困ったりして「どうしよう?どうしよう?」と思うんだろう。そして若かしり頃の父と母が自分にしてくれたことを思い出すんだと思う。

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病院「新世界」

2008.4.2[Wed]

お食事中の方はすいません。

座り仕事がたたったのか、運動不足が原因なのか、食事が偏っているのか・・・痔になってしまい病院に行ってきました。

一通り症状を聞いてもらい「じゃ、見てみますか」と・・・、ゼリー状のものを塗られ、なんかの器具を入れられる。もう、ありえない感覚。耐えられなくてジタバタしてしまい看護婦に押さえつけられる。

検査が終わった頃にはグッタリ。結果は「ま、大丈夫そうですね。多かれ少なかれ切れることは誰にでもあることですが、切れやすいのかもしれません」とのこと。

あの感覚、ある意味新世界を見たのかもしれない。でも、もう二度と受けたくない検査ナンバー1。酒、タバコ、肉、辛いものは危険だそうです。ちなみに症状が軽いうちに検査しないと手術になることもあるので要注意だそうです。

とはいえ、もう行きたくない。行きたくない。

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今日はエイプリルフール。
何の嘘をつこうか迷った結果、嘘をつかないことにしようかなー、と心に決めて上野へ。国立博物館の「国宝 薬師寺展」を見てきました。

というのも、テレビで日本初の博物館展示デザイナーの特集を見たからです。博物館展示デザイナーとは、配置や照明によって見ているものを引き止め、展示物の世界へといざなう空間を演出する仕事。

以前、「若冲と江戸絵画」展を見にいった時、金屏風に描かれた絵にあてる照明の角度、光量を変えることで、朝の光に照らされた屏風、昼の強い光に輝く屏風、夕暮れの屏風を再現して見せる展示がありました。

常に同じ光量で見せる展示とは違って、光の加減で劇的に表情を変える屏風に驚き、当時の人は一枚の絵の中にいくつもの世界を見たんだろうなぁと強く印象に残ったことがありました。

その展示を担当していたのがテレビで特集されていた木下史青さん。今回の展示でも辣腕をふるっていて、普段見ることができない仏像の背中を見せるという展示方法。

今回東京へ来ている月光菩薩立像と日光菩薩立像。本当に後姿がきれい・・・というか優しい。前から見た時は神々しくて恐れ多いのに後姿を見たら抱きつきたくなるような。

ちなみに、この月光菩薩と日光菩薩は薬師三尊のうちの二体で、普段は薬師如来の両脇に立っている。僕は二体を目の前にして薬師如来の役がどうしてもやりたくて、二体の真ん中に立ってみた。なんともいえない気分。満足。

 * *

でも、実は一番心惹かれて見とれてしまったのは聖観音菩薩立像。あの世で会うのならあの人がいいなぁ。

平日だったせいか人がいなくてゆっくり見れてよかった。4月6日までの開館日と金曜日は午後8時まで開館しているみたいだから、仕事を早めに切り上げて平日に見にいくとゆっくり見れると思いますよ。

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「阿久津和寛の謂れなき差別」

阿久津 和寛

阿久津 和寛
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